初めまして、∞SHUHU∞の運営者のぴろこ∞(愛妻料理研究家/岡部ひろこ)です。
2018年9月をもって3年半勤めた神奈川県庁を退職し、フリーランスの主婦になりました。1991年生まれの27歳、結婚1年目の新米主婦です。現在は料理教室や栄養学のセミナーを中心に活動しています。
自己紹介をしながら、こうなった経緯を話していこうと思います。
このサイトで時々出てくるのは、実家の愛犬ぷーたんです♪私が進学のために札幌に引っ越した際に、寂しくなった母が買ってきた「私の身代わりくん」です。笑
家に来てすぐにソファから落ちて骨折してしまい、しつけるべき時期にかなり甘やかしてしまったそうで、可愛い顔したじゃじゃ馬ボーイになってしまいました…笑
可愛い写真をゲットできたらアイコンを更新したり、アップしたりもするので、楽しみにしていてください♪
では、自己紹介をしながら、こうなった経緯を話していこうと思います。
Contents
起業しようと思ったキッカケ
先日、3年半勤めた県庁を退職し、現在は料理教室や栄養学のセミナーを中心に活動しています。いわゆる「脱サラして起業」という状況です。
公務員という超安定した状況を捨てて、起業という広野に出るという決断をした理由は、これまでの歩みにあります。まずは「食」というテーマを扱いたい!と思うようになったキッカケのお話をしていきます♪
これまでの歩み
私はサラリーマンの父と専業主婦の母の元に生まれた長女です。3歳下に弟がいます。実家の周りは田んぼや畑だらけの田舎の子です。
母の実家が農家であり、その祖父が商店を営んでいたのもあって、食べ物に囲まれた幼少期を過ごし、よく食べる子でした。おかげで、周りの子より少しふくよかで、小学校の時に学校から「痩せてください」という通知をもらいました。
母は「失礼しちゃうわ!」と言って、その書面を破きましたが(笑)、それから人生初のダイエットを始めました。『10歳で人生初のダイエット』というなかなかパンチの効いた過去の持ち主です。
人生初のダイエットは見事成功したのですが、それ以降「太る」ということに過敏になってしまって、大学を卒業するまで10年ちょっと、万年ダイエッターとして生活してきました。
ダイエットの影
お肉やお米は敵だと思っていた学生時代。間違ったダイエットの影響で体は少しずつおかしくなっていきました。特に問題だったのが「冷え」と「生理不順」でした。
真冬の札幌(気温−7℃くらい)を歩いて帰宅すると、体温は34℃!!やばいですよね…手足の感覚はほとんどありませんでした。さすがにやばいと思って「温活」に取り組み、冷え取りソックスとかをやってみるも効果ナシ…後に分かるのですが、私の冷えはもっと根本から解決しなければならない問題を抱えていたのです。
今の若い日本人女性のBMIはアフリカの難民の方と同じくらい低いです。痩せすぎなんですね。それに、筋力も低下しています。知り合いの助産師さんは「筋力がなさすぎて、お産も大変」と仰っていました。
父がガンになる
私が中学3年生のとき、父が口腔ガンになりました。症状は「ずっと治らない口内炎がある」といった感じだったそうです。
幸いにも父のガンは初期で、治療も成功しました。それから13年経った現在は62歳。一度の再発もなく、元気に暮らしています。
この事件をキッカケに、家族の健康意識は高まりました。両親は健康情報に敏感になったし、私も「食と健康」に強い興味を示すようになりました。
農学部を志したもう一つの理由
実は、隠れた理由がもう一つあります。
それは、農家にお嫁に行きたかったから!笑
農家にお嫁に行きたかった理由はいくつかあります。
- 美味しいものが食べれそうだから(ただの食いしん坊。笑)
- 人混みが苦手(実家が田舎の影響。笑)
- 共働きサラリーマンのイメージができなかった
どれも私にとっては大切なポイントなのですが(笑)、特に③の理由の影響が大きかったです。
母が専業主婦だったのもあって、私も子供が生まれたらなるべく一緒に過ごしたいと思っています。「小さい子を保育園に預けて仕事に行く」というビジョンが私の中にはありませんでした。かと言って、専業主婦向きの性格でもありません。
農家なら、家業を手伝う仕事をしながら、子供のそばにいれるんじゃないかな?17歳の私はそんな風に考えました。そして広大な大地と大規模農業を求めて、北海道にまで進出しました。
公務員を志す
農家の御曹司(笑)との縁もなく、就活が迫った私は「公務員」を志望しました。公務員を志望した理由はこんな感じです。
- 神奈川に戻りたい
- 結婚して子供ができても続けられそう
- 有給取りやすそう
- 「食育」の仕事がしたい
- 「健康寿命」を伸ばしたい
就職したら一生務めると思っていたので、産休育休制度・福利厚生のしっかりしている公務員は魅力的に感じました。それに、神奈川県では「健康寿命を延ばす」政策に力を入れています。「健康」に関わる仕事をしたかった私は、なんか面白そう!と思い、入庁を決めました。
で、なんで起業?
学生時代の私は、「世の中を良くできるのは行政サービスだ!」と本気で信じていました。
ですが、今のお役所の体質は古く、「役所は世の中を変えられない」と痛感したのです。
そんな時に、私は栄養学の勉強を本格化させました。
その栄養学スクールでは、「お客さまに栄養学を伝えることで、お客さまの人生を豊かにし、それを学んだお客さまが家族を健康長寿に導く」という感じに、健康長寿の輪を広げていっていました。
「良いサービスや商品を提供して、お客さまにご満足頂き、対価としてお金をもらう」。ビジネスって、全然汚くないじゃん!ってこの時ようやく知りました。むしろ、行政サービスより、全然世の中を幸せにできそうじゃん!と感じて衝撃を受けたのを覚えています。
栄養学を学んでから、私自身も今までのダイエット方法を見直して、万年ダイエッターの卒業に成功したのです♪『間違った情報で自分自身の体を壊したことがある』だからこそ、栄養学を学ぶことの大切さは身にしみています。
オンリーワンのビジネス
栄養学を学ぶようになってから、「食」で世の中を豊かにしたいという気持ちが益々強くなっていきました。
そんな私が描いた夢がこれです。
- 「食」で世の中を豊かにする仕事をしたい
- 主婦業と社会に貢献できる仕事を両立させたい
- 家で子育てしながら仕事がしたい
そのために、学んだ『栄養学』× 苦手だった『恋愛』× 大好きな『料理』を掛け合わせた【愛妻料理研究家】というポジションを導き出しました。
「幸せな家庭の食卓作りをサポートする」という食で世の中に貢献できる仕事を創り出しました。体を作るのは「食」であり、家族の存在は「心に安らぎ」をくれます。毎日の家庭での食事は心と体の健康のために欠かせないものです。ですが、忙しい現代人はその大切なものを失いかけています。だからこそ、きちんと伝え、発信していきたい。こう考えるようになりました。
役所の仕事はマニュアル通りにやれば誰でもできます。けれども、この仕事は私にしかできないオンリーワンの仕事です。だから、公務員より起業でした。
「起業」に対する周囲の反応
それはもう、かなり驚かれたし、止められもしました。けれども、ただ1人反対せず、応援してくれたのが、夫でした。夫はプロポーズする前から私の夢を知っていて、応援してくれていました。
いずれ辞めようと思っていた公務員でしたが、なかなか決断はできずにいました。そんな時に、背中を押される事件が起きました。
突然起きたマタハラ?
結婚をして、夫の転勤にはどこでも付いていきたいと思っていたし、妊娠出産も希望しました。上司との面談で聞かれたので、素直にありのままを話しました。すると、想定外の人事異動が起きました。それはいわゆる「配慮という名の左遷」でした。
妊娠前でもマタハラというのかは分かりませんが、仕事を外され、異動先の人たちからは「その異動ルートは不自然だから、なんか問題がある子なんじゃない?」と噂される始末。かなり落ち込んだし、仕事に行くのも嫌になりました。
この事件がキッカケで、退職に対して異を唱える人がいなくなりました。怪我の功名と言うべきなのか…(笑)そして、2018年8月に退職の意志を伝え、9月末をもって退職し、今に至ります。
現在は月1回料理教室を開催し、栄養学や中医学の学びを更に深めています。家事をしながら、マイルもたくさん貯めています♪(1週間で5,000マイルくらい!笑)また、新たな発信ツールとしてこのサイトを立ち上げ、収益化を目指しているところです。
今後の活動目標
「幸せな食卓のある結婚生活を」というのが私の活動コンセプトです。
美味しい手料理を囲む食卓は、何にも代え難いプライスレスなひと時だと考えています。
そんな家庭を1つでも増やすために一歩ずつ歩んでいきたいと思っております。どうぞ、よろしくお願いします♪